上丹生 森彫刻所

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上丹生森彫刻所 木彫りの里 上丹生

霊仙山に降った雨は上丹生の里を流れ宗谷川、丹生川、天の川になって琵琶湖に注ぎ、
遥か京阪の人たちを潤します。

上丹生森彫刻所 上丹生とはこんなところ
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上丹生森彫刻所 仏壇作りの里
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上丹生森彫刻所 上丹生仏壇をささえる伝統の技
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上丹生森彫刻所 木彫りの里 上丹生
上丹生森彫刻所 上丹生木彫り その風土
琵琶湖の東北に滋賀県でただ一つ、東海道新幹線の米原駅がある。在来の東海道線と北陸線の接点でもある米原は、昔水運の港もあって同時に中山道と北国街道との接点として重要な水陸交通の要衝だったところ。
東京から西に四百粁あり、新幹線に乗ると東京から二時間半。京都から僅か二十数分で来ることができる位置にある。この米原の駅から十粁東に「木彫りの里、上丹生」がある。山が迫り、冬の日照時間は三時間と言う。天平の昔から息長真人という優秀な一族が住んでおり、後に古代渡来人による情報や技術が交流し、高度な文化圏を形成していたところ。
冬場は雪が降り、新幹線の難所としても名高く、気象は時に多岐多様に変化し、一概に予測判断がしにくいところでもある。
岐阜と三重との県境にある霊仙山に降った雨は、丹生川と宗谷川に流れ、二つの川が合流するところ上丹生がある。清く美しい水が豊富で、人々は菊の花を育て盆栽などにも熱心な人たちが多く、来客があれば主人自づから煎茶を注いでもてなす美習がある。
山あいには、田畑とて少なく産業としては山の木を選び昔から社寺や御輿や山車の彫り物を手掛けていた。ひと頃西欧の新しいデザインに関心が集まった時代でも、伝承の花鳥、雲水、天人仙人、四君子、七賢人の紋様をひたすら彫り続けている。
日本の、木彫の技と紋様を今に伝える数少ない珍しいところである。

上丹生森彫刻所 木彫りの里 上丹生 上丹生森彫刻所 木彫りの里 上丹生

上丹生森彫刻所 上丹生木彫り その歴史
起源は二百年前、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が世に出た19世紀初めに遡る。その頃、長次郎と言う優れた堂大工が居て、その次男上田勇助が14歳の時、同郷の川口七左衛門と彫刻修業のために京都へ連れ立った。
父長次郎の命であったという。
12年の後、修業を終えて家に戻った勇助は、上丹生成光寺本道の欄間に雲竜を、又、上丹生氏神様の本殿彫刻(開き戸の菊と桐の紋に唐獅子牡丹他)を完成。周囲の目を見張らせたという。二代目勇助になって長浜の仏壇の彫り物を手掛け、一段と技術に磨きがかかり、仏壇の他にも種々の彫刻ができる文字どおり木彫の里の基礎を築いた。明治になると森曲水は名古屋大須観音堂、越前永平寺、東京本願寺の欄間を彫刻。一方、対象15年にパリの万国美術工芸博覧会で曲水の弟森光次郎の作品が入賞。上丹生木彫は技術とデザインの両面で広く知られるようなる。
第二次世界大戦の戦中戦後、物資が不足、日常のの生活で節約が叫ばれるようになると、上丹生も主流である仏壇仏具の需要が減り、田畑の仕事や山仕事をする時代もあった。一時は、手提袋の手にとる部分を彫刻した「木口」と呼ばれるものや、杉の彫刻の表面を焼いて木目を生かした焼杉彫刻など、様々なアイデアで窮地を凌いだ。特に焼杉の彫刻は輸出されていた時代もあり、狸、がま蛙、みみずくや蓑亀などに人気が集まった。焼杉は茶托や和物の銘々皿など近年まで需要はあったものの、各地で同じようなものがつくられるようになって、往時の勢いは衰えた。60年代に入って高度経済が進み、石油ショック、バブル経済そしてバブル経済の終焉と時代は変わったが、上丹生の木彫り師達は黙々と木を削り続けて来た。
今、上丹生木彫も他の伝統産業と同じく、これ迄にない困難な時代を迎えている。但し工業製品と違い、手技の魅力に関心が集まる今こそ、初代勇助にはじまる木彫の歴史を振り返って、その技と心意気を次の代に伝えていこうとする現状に、静かな関心が集まる。

上丹生森彫刻所 上丹生木彫り その未来  
高度経済のバブルがはじけ、後始末が先送りされている間に価値観の変化がみえはじめ、資源や環境への関心も高まり生活を見直そうという動きが出てきた。そして、昔から利用されている木という素材とそれに対する伝統的な技が再評価されつつある。

木を刻む ――― 50年前の小中学校の机や椅子は木製だったので小刀で傷をつけたり削ったりができた。又、鉛筆も自分の好みで削って使ったり、消しゴムも切り刻んで遊んだものである。小学校に入ると削るシーンがいくつもあって、それを懐かしむと同時に教育効果を指摘する声もある。

木を彫る ―――― 生涯学習が言われて久しく、各地の文化セミナーには木彫教室で無心に木を彫る人が後を絶たない。

上丹生森彫刻所 木彫りの里 上丹生
彫る刻む削るは人間の造形本能であり、技術や道具が進んで、それらが文化的な所業であることがわかる。
木を伐り、木を彫るのを生業にして二百年の歴史をもつ上丹生。
今、情報化とハイテクが人間を疎外し、有名学校から有名会社に入り年功序列と終身雇用の安全圏に身を沈ませる生き方が陰り、ここでやっと個性的で創意工夫のある生き方の一つとして「木を彫る」後継者も出はじめつつある。構造的な経済の仕組みには馴染まないが、伝統的な木の美学再確認は、上丹生の未来への可能性を示唆する動きである。

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