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| 上丹生彫刻の発祥 |
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上丹生彫刻の歴史は古く、その原点は、今から200年以上前にさかのぼる。
19世紀はじめ、上丹生に長次郎という優秀な堂大工(寺社関係専門の大工)がいた。
その次男、上田勇助が上丹生彫刻の祖といわれている。
彼が14歳のとき、同郷の川口七右衛門といっしょに彫刻修行のため京都へと旅立った。
12年の修行を終えた二人は上丹生に戻り、文化年間建立の上丹生成光寺の欄間(中央に雲水龍、左右に雲龍)、氏神神明神社の本殿彫刻(開戸の菊、桐の紋、その上中下に菊の枝折、唐獅子牡丹他)を彫り上げた。その技術は今の時代から見てもとても高いものです。
二代目の勇助が長浜の浜仏壇の彫り物を手がけたことをきっかけに、彫刻技術が上丹生に普及、さまざまな職人が派生した。
仏壇制作のためには彫刻師はもちろん、木地師、飾金具師、漆塗師、金箔師といった多数の職人が関わる。上丹生には京都・長浜そして彦根で技術を習得した職人達が増えました。
仏壇仏具の生産に必要な工人が顔をそろえ、江戸末期から明治中頃にかけて、上丹生は工芸の里として大きな成長を遂げたのである。 |
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